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劇場版考察7:続・リーディングシュタイナーとは?【紅莉栖の思考実験】

今回はリーディングシュタイナー(以下RS)についての考察の続きですが、説明がしやすいので小説版デジャヴを話の取っ掛かりとして進めていきます。

前回分に当たるRSメインの考察はこちら
劇場版考察1:リーディングシュタイナーとは何なのか?

作中で紅莉栖は、FG9号である宇宙標準時計の前で何度か思考実験を繰り返しています。
内容は、主観的時系列における自分を【あなた】とし、客観的時系列における自分を【わたし】とした場合に記憶にどのような影響を及ぼすのか。
ここで間違えてはいけないのが、主観的視点と客観的視点ではないこと。
あくまで、脳を伴った思考を持つ自分を主観的時系列いつ何があったのかをただ機械的に記していくだけの歴史年表を客観的時系列とする。

例として、このそれぞれの紅莉栖に1つの記憶を与えてみましょう。
2011/8/4の紅莉栖に『ラジ館で岡部の白衣を縫う』という記憶を与えます。

主観的時系列の紅莉栖は、まず海馬の検索エンジンをフル稼働させて側頭葉のデータベースから該当する状況・前後関係を探します
もし、その記憶に日付や細かい状況などがタグ付けされていたら、それらも検索ワードになると思われます。
そして辿り着くのは【エラー】

・岡部とラジ館に行ったことはない
・白衣を縫ったのは初めて
・2010/8/16には再会していない
・岡部は入院している時期


などなど、その記憶を否定するエラーが弾き出され、その言い訳として本来の意味のデジャヴとして認識し、やがて違和感を抱えつつも記憶に埋もれていく。

客観的時系列の紅莉栖は、脳に依存しないので、脳が持つ前後の記憶やそれにより産み出される性格、価値観、現在の世界線などの補正を受けず、ありのままを記憶している。
白衣を縫った記憶が存在する→その時系列・状況は今の世界線の過去にはない改変前の世界線での出来事として体験済み検索完了となる。

つまり、主観的時系列現在の世界線に存在する、脳という器官を基に生成された記憶のなかで、その脳が持つ常識として、辻褄を合わせながら処理していく、本来の人間の状態
対して客観的時系列は完全なRSの状態である。

もちろん紅莉栖はRSを持たないので、紅莉栖が思考実験をする際の客観的時系列とは、現状の持ちうる記憶を総動員して、デジャヴの記憶を否定しないで、淡々と見つめ直す事しか出来ません
この実験は、擬似的にRSの状態を定義し、新たな視点から見ることで、脳に支配された領域の記憶への影響を見るものです。
分かりやすくいうと、デジャヴによって得た記憶を、脳のエラーとして辻褄合わせをしていた状態を、他世界線の記憶だから辻褄合わせは必要ないという状態に持っていくことができた場合に、それらの記憶を受け入れることができるのか、更に連鎖的に他世界線の記憶を得ることができるのか、RSのような能力が得られるのかなどなど、観察するための思考実験である。

今回紅莉栖は、肉体に囚われない客観的時系列の記憶を、『記憶のメモ帳』に記してあると表現しました。
それが真か偽かは問題ではなく、議論に使う道具としての解りやすい表現であるため、別に魂に刻まれているでも、常時他世界線と記憶の相互通信をしているでも何でもいいですが、それに類似する、脳に囚われない何かがあるのは間違いないでしょう。少なくともsteins;gateの世界では。

『そんなファンタジーに頼らずに脳の機能だけでも補える』と考えたらどうでしょうか?
世界線が移動すると、記憶だけが書き変わりその他物質に影響はないというなら、側頭葉というハードディスクに上書きされた記憶の下に不可視化された古い記憶データがあってもおかしくはないが、事はそう単純ではありません。
街の建物が変わったり、死んで墓の下で朽ち果てている人間が生きていたりするように、目に見えて比較ができないだけで、分子レベルでは脳の構造も再構成されています。
とある世界線では他の世界線より1時間だけ多く勉強して、脳の処理能力がわずかに早いかも知れません
また、とある世界線では事故により脳の一部が失われ、機能代償で補っているかもしれません。
それらの脳は果たして同一だと言えるでしょうか?
記憶の上書きというと、同じHDD(側頭葉)のデータ(記憶)を書き換えたように聞こえますが、実際にはHDDごと置き換わっているのです。外付けHDDならUSBごと取り替えている感じですね。

ここまでをまとめると、
・デジャヴには記憶のメモ帳のような外的要因が影響する
・記憶以外に脳の構造も再構成される


さて、ここけら視点を変えて岡部に当てはめてみよう
岡部は紅莉栖と異なりRSを持つため、客観的時系列のメモ帳から更に多くの情報を引き出せる。
しかし、これでも実は思考実験は出来ても、真の意味での客観的時系列の視点に立つことはできない
何故なら、思考を行うのは脳であるから。
記憶のメモ帳にあるべき記憶主観的時系列である脳へと取り込んで、連続した記憶として脳が処理をしているのである。

記憶のメモ帳に記される記憶が、クオリアを持つ岡部が体験した世界線の記憶のみを刻むものなのか、あらゆるすべての世界線の過去から未来までの記憶をあらかじめ持っていてその一部しか取り出せていないだけなのかは解らないが、どちらにせよそれらのデータ量はとてつもなく膨大なものになる。しかも脳と違い、取捨選択によって忘れる、といった行為がなされないため、とても3.24TBでは収まらない

そして当然のことながら、岡部は新たな世界線の過去の記憶は引き出せない。その世界にとって当たり前の事に実感を持てない、【ジャメビュ】というエラーを引き起こしているようなものである。

人はどんなにデータベース(記憶のメモ帳)を充実させても、脳の処理能力が追い付かない。この先岡部がRSの能力を拡張しようとも、現状の岡部以上の事は出来ない。
『すべての世界線の記憶をまとめられないのは脳の処理能力に限界があるから』とは紅莉栖の談。
人が神の視点に立つならば、脳という器官から脱却しなければならないのである。


脳の構造が世界線ごとに変わる場合、もう1つ考えなくてはならないものがある。
岡部のRSの力は、脳に依存しているのか否か。

公式に準拠するための考察である以上、まずは今現在公式の情報をまとめてみよう。
・岡部は2000年の発熱の際に宿ったとされている。(公式資料集内インタビュー)
・RSはデジャヴの延長上の能力(劇場版公式資料集内インタビュー)
・脳の記憶異常かもしれない(紅莉栖と鈴羽の考察)


ここで3つめは登場人物による考察なため、除外も可能です。
ひとまずわかることは、岡部のRSは後天的であるということ。
RSがそれ単体の現象をさす名称ではないなら、デジャヴ能力は先天的には持ち、後天的に能力の拡張・世界線感受性の増大が起こったということでしょう。
きっかけは2000年問題が起こるかどうかの大分岐点だったためか、2000年時点のジョン・タイターによる介入によるものかといったところでしょうか。

では、あの発熱はRSのために起きたのか、それとも発熱によりRSが起こるようになったのか
前者の場合発熱自体は子供の体に初めて体験するRSということで強く症状が出たと思われます。本編中でもRSの目眩には慣れがあるようなので。
では後者の場合はどうでしょう?
高熱による脳の器質的変質によるリミッター欠損によりRSを発動するようになったと言えるでしょうか。
『発熱程度でRSが宿るならRS所有者で世界は溢れている!』と反論したくなりますが、そもそも岡部以外のRS所有者がいても、幻覚(変動前の世界線)を立て続けに見て、支離滅裂なことを話す精神異常者のレッテルを張られてしまっているはずですし、熱でなる確率が高かろうが低かろうが、確率の大小は決定論が半分支配するアトラクタフィールド理論の世界ではあまり影響がない気もします。
※一部追記※
ちなみにエピグラフでは他のRSの影響を受けたらしき一般人は、『新型脳炎』として診断を下され、治療を受けているようです。
これらの患者は例え辿り着いた先がSGだったとしても影響はあると思われるので、何とか治療が完了して社会に復帰して欲しいものです。

話を戻します。
RSが脳の異常であった場合、もしも異常のない世界線に移動したらどうでしょうか?
基本はRSを宿すことが複数のアトラクタフィールドにまたがった大収束であると思われますが、全てで宿すとは断言できません。
その世界線ではあたかも能力が消失したかのように見えると思います。
デジャヴとしてのわずかな記憶や違和感は残るとは思われますが。
そしてその世界線から外れてRSがある世界線に戻ったときに、そこまでの過程を全てリセットされてしまうのか、データベース(記憶のメモ帳)から記憶を再度引き出して、RSがない世界線以前の過程も継続できるのかまではわかりません。
しかしこれにより、アンダーリンのようなRSが発動しなくなった状態の考察の材料にすることや、本編の岡部以前にも忘れ去られた物語が広がっていた可能性岡部がRSに翻弄されずに生きる世界の可能性などを示すことはできると思います。
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[ 2013/06/29 22:42 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(0)

劇場版情報現状まとめ&一部感想

※今回の記事は劇場版デジャヴだけでなく、小説版デジャヴ、デジャヴオフィシャルガイドブック(以下資料集)全てにおいてのネタバレです。一部フェノグラムの鈴羽ルートもネタバレします。
そして、この作品に対しての一応の私自身の感想も含みます。
賛否両論分かれる、この『負荷領域のデジャヴ』という作品に対しての現時点でのまとめを書いていこうと思います。

※私個人の感想なので、共感できない部分も有るかと思いますが、この感想は決して他の感想や意見を否定するものではないと理解いただける方のみ目を通していただけると幸いです。
今までに書いた考察の答え合わせや未解決部分などが入り乱れた内容になるかと思いますが、ご了承ください。

劇場版を見る前の段階で大きく気にしていたことは、『岡部が消えること』による設定の追加は、うまく本編の設定と共存しえるのか、若しくは設定破壊へとつながるかの心配と、『リーディングシュタイナーの招待が明らかになる』ということの期待でした。

前者は、状況的には物理的消失よりも記憶喪失・精神障害が妥当なものではないかと考えていたため、その状況をどう構成していくのかが気になりました。ちなみに初期段階では記憶喪失パターンも構想上はありえたそうです(資料集より)。
結果として、R世界線という定義を新たに作って公開されたわけですが、ここで問題となるのは考察でも触れたとおり『アクティブ世界線は常にひとつ』という設定に抵触するのではないかという問題。
そのRという特殊性が説明不足だったので、設定破壊説が濃厚な方向へ向かってしまいました。
これを避けるため、うまく解釈を変えられないか考えた末に考察を立ててみましたが、所詮は考察、公式の見解が不透明な以上は理論足りえず解釈どまりです。

その後明らかになった点としては、
・『アクティブな世界線は常にひとつ。これは絶対なルール』(フェノグラム資料集より)
・『アクティブな世界線は常にひとつだけだ』(デジャヴ小説より)

・RはReverse、Q,R,Sというアルファベット上で『S』teins;gateの隣のR、RintaroのRという複数の意味(デジャヴ資料集及びデジャヴ小説より)

・『仮に、SGから0.00001%だけずれたところにRを定める』
・世界線変動率は、岡部以外には指標としての意味を成さないが、机上の議論には用いることが出来る。
・この両者(R・S)の関係を正しく定義する用語は、未だ存在しない。
・消失の原因は、収束ではなかった、過去改変でもなかった。
・『彼が移動したというよりは、認知の外に行ってしまった。世界線は移動していないはずだけど、世界は記憶を消すしかなかった。かなりイレギュラーな状態』
・『この世界線を現実として認識している岡部自身がゆらぐ。やがては失認、自己意識の失調をきたす』(デジャヴ小説より)


ざっとあげるとこんなところでしょうか。
まとめると、世界線が常にひとつという定義は、公式としても決して譲らない設定であるようです。この点は安心しました。
名称については考察には直接影響がないので上記で完結で。
それ以降はほぼ小説から出たものでありますが、R世界線という言葉自体がただの議論上の概念・材料で、実際にそういう世界線がダイバージェンス上に存在して居るわけではないということのようです。

小説には、上記以外にも次のような一説が出てきます。(一部略)
『どこまで過去を遡ろうと(未来を望もうと)、確定した(する)事実は無い。何時にでも行けるが何処にも行けない。定まらぬ事実・認識・存在。R世界線といいながら(現実感)Realityはない。何もかもが不確定で、世界線とは名ばかりの概念。現実として観測するものが定まらない以上、観測する者も存在しえず、意識としても存在出来ない。思考が光となって電位のシグナルがニューロンを駆け巡っても、誰にも、何処にも、自分にさえ届かない。都合のいい世界線から捨てられた、都合の悪い記憶を詰めたゴミ箱。R世界線を、こうして実在する文字と文章でたしかに表現するのは困難。言ってしまえば、岡部はR世界線にも居ない。Rに居ると認識できないし、考えたり、推し量ることも出来ない。』

R世界線が世界線ではないというなら、本編設定に抵触はしませんしね。
個人(岡部)の記憶の認識が、現実として存在できる世界線を決定付けている部分は、考察があながち間違っていなかったように思えます。
また、SGを都合のいい世界線、Rを都合の悪い世界線と表現するシーンがありますが、その都合のいい悪いは誰にとってかを考えると、『岡部にとって』となるので、その都合のいい世界線を生み出したのは岡部という風に考えれば、いくゆさんの、岡部のRSが前提として存在する、RSが作り出した世界線という考えに近いかもしれませんね

しかし小説版はあくまで小説
小説内の設定も公式から提供された裏設定をベースに構築しているため、公式といってもいいのかもしれませんが(正直公式と言い切れたほうが楽)、それを裏付ける設定が詳しく資料集ですら明かされていない以上、確定には一歩とどかない状況です。オリジナル展開・解釈が含まれていないとも限らないからです。

後者は、デジャヴとRSが関連すること自体は元々似たようなことが言われていましたし、タイトルにもデジャヴがあるので、そこを(擬似)科学的に詳しく説明されるんだろうと期待していました。
しかし劇中では『デジャヴがRSの一種かもしれない』『デジャヴこそがRSの力』と紅莉栖が考察しただけでそれ以上には踏み込まれませんでした。特に問題なのは後者のセリフ。下手をすれば『デジャヴ=RS』というミスリードを招きそうな発言。
『デジャヴの正体は他の世界線の記憶である。岡部のRSはその延長線上にある能力であり、誰もが持ちうる力なのだ』(資料集の千代丸より)
とあるように、あくまで『デジャヴ=他世界線の記憶』であり、それの発展型(若しくは欠損型)・延長線上にある能力がRSであるわけです。≒や≦、≧ならともかく。

またデジャヴ(RS以外)→RSとなる条件も真実はどうなのか気になりますね。
小説版では鈴羽と紅莉栖が、脳のリミッターの欠損を推察しています。
それに対し私の考察は感受性の大小を考えていたので、小説内の推察が正しいと定義されれば棄却されそうですね。

少女姿の紅莉栖については、資料集のインタビューによれば、『言葉にするのは難しいけれど~』とは濁してはいますが、私の未解決考察にあるような、『実際の過去の紅莉栖説の可能性』は期待できないかもしれません。心情を少女に置き換えた演出説が濃厚です。
しかし資料集の編集者は、本編で岡部が語ったロマンチックじゃなかったファーストキスの思い出の相手が明らかになる。みたいな書き方しているので、また混乱を招きそうですが
しかしこの資料集の編集者、所々間違えて書いていたり、認識に誤解を招きやすい表現をしたりするので、危ういです(23話で中鉢が紅莉栖刺したことになってたり)。
資料集の中でも場合によっては、公式として見るのは林さんや監督、千代丸などのインタビューに限って見た方がいいかもしれません

また、誰が最初の鳳凰院凶真だったのか?とか書かれていますが、因果が閉じているように見えるのはSGだけで見た場合であって、SG紅莉栖の鳳凰院の知識は『SGの過去の持ったSGの岡部』ではなく『αやβの過去の記憶を持ったSGの岡部』によるもので、鳳凰隠という固有名称はともかく、マッドサイエンティストの設定は岡部自身が当時のTVアニメ由来であることを語っているので、SG以外では由来が存在していますので問題は有りません。
また、フェノグラムのダルのタイムマシンの知識についても似たような問題が提示されていますが、そもそもダルがタイムマシンを修理していない世界線が存在する以上、タイムマシンの存在には修理の経験の有無は直接影響がなく、因果もその世界線1本で見れば閉じて見えますが、複数の世界線を含めればちゃんと開いています。

紅莉栖失敗時の岡部が轢かれそうになる描写ですが、あれは完全に騙されました。
あそこで轢かれていれば、岡部が死ななくてもまゆりのところに行けなくなるので問題が発生すると思っていたのですが、小説によると『ぎりぎり傘の先が引っかかって飛ばされた』だけで轢かれていないそうです。
うん、確かに轢かれない収束もある方が辻褄は合わせられるのですが、あれは完全にミスリードさせられました。

他に資料集で気付いた点としては、
朝顔に群がる二匹の蝶や、コインランドリーに移る岡部の顔の強調の意味は興味深かったです。
また、まゆりの幻聴の『オペレーションミドガルド』は、人間の住む領域であるSGへ帰還する作戦を指している事など。
こういうのに気付くのは苦手なので。
岡部の厨二発言にある『ソーラーストーム(太陽嵐)の影響で~』は、やはりロボノを意識していたようですね。
そのパート担当していた人もロボノアニメの人だったようです。
また、タイムマシンの内装に、フェノグラムの世界線選択画面や、x68が積まれているのは気づけませんでした。
ブラウンがラウンダーの可能性はやはり林さんの中では残ってはいるようです。
ラストのシーンが、小説版ではラジ館前映画では中央通りになっていますが、急遽後悔前に変更したための名残が小説版だったようです。


資料集内の各インタビューでは、所々に『本編に載せ切れなかった裏設定がいっぱいある』とか、『精神の話などになって膨大になるから作中では省いたけれど、もっと掘り下げる予定だった』とか言われてますので、もっと様々な疑問に答えてくれるだけの材料は隠し持ってはいるんでしょう(と信じたい)。
映画の尺を考えると、σ(・ω・ )の考察みたいな回りくどいことを延々と話される映画なんて確かに誰も寄り付きませんしね。
でも、だからこそ、どうしてそれを資料集に載せなかったし!載せなかったし!!ヾ(`・ω・´)ノ彡☆バンバン!!
それともコンプリートバージョンみたいな感じでBDやDVDで出すから隠しているとかですかね?

シナリオで言えば、公平不公平はおいておいて、注目したいのは萌郁がしっかりとラボメンしているのがよかったと思います。
ルカとの絡みや、酔って歌いだすシーンからも、自然に馴染んできているのが分かりますし、携帯電話をいじらずに喋ることが多くなりました。
そして、『もう一人居る。ここには居ない』という重要なセリフを任されていたのもでかいです。
紅莉栖以外のラボメンで、違和感=人が足りないところまで断定したのは彼女です。ラボメンの中では絆が浅い彼女ですが、この1年での成長は、きちんと時間が経過していることの再認識と、これからの平和な未来への希望を表現するのに一役かったのではないでしょうか。

劇場版という限られた時間であることを前提にする以上、全キャラそれぞれの活躍の場を個別に設けるのは困難ですが、それぞれの個性を限られた出番の中で精一杯出されていると思います。
まあ前半の紅莉栖は趣味全開感は否めませんが

最初の懐疑的な視点で見ていた1回目に比べ、色々考えを巡らせたあとに先入観を捨てて初心に返って見た4回目は素直に感動することが出来ました。
物足りなさは勿論あるのですが、否定の気持ちはないので、今後の補完を期待しつつ、私個人の感想としては及第点を与えたいと思いました。

最後にもう一度断りを入れておきますが、これは決して他の意見を糾弾するものではありません。単なる読書感想文のようなものです。
『事実はひとつでも真実は人の数だけ』(デジャヴ小説紅莉栖より)。色んな見方があるからこそ、意見交換の楽しみが増え、考察が発展しうるのですヾ(*・ω・*)ノ
[ 2013/06/10 22:26 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(1)

劇場版考察6:観測者とは

今回の考察はあまり得られることは少ないかもしれません。

【孤独の観測者】観測者という言葉は、シュタインズゲートにおいて重要なテーマのひとつと言えるでしょう。
それは劇場版の劇中でも例外ではなく、『牧瀬紅莉栖にこの世界の観測者になってもらう必要があった』『私があなたを観測し続ける』など、度々観測という単語が出てきます。
さて、そもそも観測者とは何なのか?
観測という言葉には観察と測定という2つの単語を内包している。物事や事象を測定し、観察すること、学問によって言葉の定義が異なってくるが、極論を言えばこういうことである。

さて、劇中での観測者の定義とは何でしょうか?
本編での観測者は岡部劇場版で紅莉栖がそう呼ばれていましたが,
正確にはどこまでかその言葉の定義の中に当てはまるのかはわかりません。
それぞれの境遇としては、
岡部=RS持ち
紅莉栖=タイムリーパー

ですが、これだけで条件付けするには前提条件が広すぎますね。

というわけでそれぞれをもっと細かく見ていきましょう。同時に、観測者以外と対比することでその定義を絞っていきましょう。

まず、岡部に関してですが岡部はRSにより世界線の変動による前後の違いを認識できます。つまり、世界がどう変わったかを認識=観測している
それに対して、それ以外の人は変動前後の比較ができない
他者との決定的な違いはこれにつきると思います。

では、劇場版紅莉栖の場合は何でしょうか?

切っ掛けとしてはタイムリープですが、ではタイムリーパーは全員観測者と言えるのでしょうか?
紅莉栖がタイムリーパーになることで他者と違うこと、それは『岡部の消失を認識できるか』にあると思われます。
それには、条件1として、動機が挙げられます。紅莉栖の【タイムリープをしてきた】という動機に、間接的に『岡部の消失を確認すること』がタグ付けられているからだと思われます。(直接的には、違和感の正体を突き止めること)

そして、条件2として、タイミングがあげられます。『岡部消失前』の記憶を持つ紅莉栖、『岡部消失後』の記憶を追加(上書きでは無い点に注意。電話を受ける前の記憶もきちんと残る)することにより、その比較が可能になります。

time-travel10

そして、これらの条件2つを満たした場合のみ、岡部に対する観測者になりえます
例えば、動機として条件1があっても、既に『岡部消失後』に『岡部消失後』の紅莉栖が跳んでも、『違和感を特定できなかった』という結果が残るだけです。
逆に、条件2があっても、動機が別にあれば、岡部消失に関しては意識の外にあると思われますので、比較する理由がなくなってしまうわけです。。

そして、岡部の消失を認識できる人物がもう一人います。
言わずもかな、阿万音鈴羽です。
彼女の場合は条件1が直接的動機になります。そして、条件2は、鈴羽にとっては記憶は『岡部消失後』に岡部の情報を得ている状態にあるため、2011年で記憶改編を受けても受けなくても、岡部の情報は残せるものと思われます。(むしろ岡部消失後の方が鈴羽には自然な状態)
そして、この状態の鈴羽を観測者と定義するのなら、観測者は複数存在できることになります。
そもそもRSが唯一無二の能力でなく、デジャヴの発展であるなら、岡部以外の60億人の誰かにもにRSを発現できる可能性が内包されるので、その時点で観測者複数は許容されるのですが。

観測対象で見てみましょう。岡部自身は世界に対しての観測者であって、岡部消失に対する観測者であるかは定義できない。自分自身の身に起きたことなので、消失後にも自己意識が存在するのなら消失したという事実自体は認識できるでしょうが、消失前後のSG世界の違いは認識できません
もちろん紅莉栖も、岡部消失に対しての観測者になって、更にアトラクタフィールド理論の理解を深めても、世界に対しての観測者ではない。(もっとも、小説版デジャヴでは、デジャヴの違和感を他世界線の記憶だと認識できていれば、擬似的なRSになることは紅莉栖が推測していたが)
つまり、一口に観測者といっても、観測対象によってそれぞれ観測できる範囲、条件が違うので、観測対象が違えば、観測者同士が同種の存在であるとはいえないのです。

観測者は何が出来るのか?
推察ですが、観測の対象(世界や岡部消失)に対してアプローチできる事が挙げられます(但し、自由意思があると過程した場合)。
もちろんそのアプローチ自体がうまくいくかは別問題ですが、違いを認識できない者からすると、その行動すべてが見えない糸で操られているかの様に、世界線の筋書き通りの行動しかとれない可能性があります。
観測者の行動自体も世界線の筋書きのうちなのか、理の外という扱いなのかはわかりませんが、劇中で結果を残してきたのはいつでも観測者行動でした。
劇中での観測者は、能力の有無や傍観者を指すのではなく、アトラクタフィールド理論の決定論的な部分(結果)に唯一介入できる可能性を持つ状況にある者を指すのではないでしょうか。
[ 2013/06/09 01:07 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(0)

劇場版考察5:岡部が消えた理由について(後編)

前半より

さて、後半に入ります。後編も長丁場です。
前半で岡部のクオリアが移動することについて考察したわけですが、ではなぜ岡部の肉体までもが消えたのかについて進めていきたいと思います。
まず今回の考察を進めていく上で、本編にはない前提を2つ設定していく必要があります。

1、個人のクオリアは全世界線、全時間軸において同時に存在できるのはひとつである
2、哲学的ゾンビは存在できない


1については、本編で明言されていないけれども、時間遡行物では無くてはならない条件のひとつであるといえます。
まずクオリアについて、これまで分かりやすく便宜上、自己意識と定義してきましたが、実際には少し違います。分かりやすくまとめているサイトがあるのでこちらをご覧ください。

哲学的な何か、あと科学とか:クオリア

さて、この自己意識を仮にひとつと限定しなかった場合を考えてみましょう。
まず1つ目は、時間別に複数の自己意識が存在する場合
例えば、本編の道筋をたどった岡部のほかに、一番最初の0.000000%を生き抜いた岡部や、βでの執念さん、SG到達前に本編岡部が見守った、これから3週間を経験する予定の岡部などが、それぞれに自己意識を有していた場合にどうなるのか
分かりやすい例で言えば、βの未来からムービーメールを送った岡部(以下執念さん)にクオリアが存在した場合、執念さんにとっての世界線変動時期は、ムービーメールを送った瞬間、又は、執念さんが死亡後ダルがタイムマシンで鈴羽を送り出した瞬間(その世界線での干渉の最終点)であるため、RSにより執念さん視点では、執念を抱えたまま、本編岡部が体験したはずのSGでの平穏な記憶を持たずにいきなりSGに放り出されたことになります。これだけ見れば執念さんが辛い思いをすれば済むわけですが、それだけでは終わりません。そのSG線では本編岡部が2010年に居るため、その岡部は2025年又は2036年に執念さんの上書きによりクオリアの消滅が確定します。そして、他の岡部は執念さん以外にも無限に存在します。SGにたどり着く時間帯の岡部が限られるとしても、SGにたどり着く前の世界線では様々な時間の影響を受ける可能性があるわけで、クオリアが複数存在することでその危険性が高くなってしまうのです。

実際、上記の問題が発生していたとしても、単に岡部一人が突発的に記憶異常や錯乱を繰り返し意味不明な言動を行う精神異常者と思われるだけなので、はたから見れば今までどおりでしょうし、岡部自身の幸せをを切り捨てるのであれば大した問題ではありません(いや私情でみれば大した問題ですが)。

2つめは、世界線別に自己意識を持つ場合
つまり、世界線1つ1つの各意識は独立していて、他の世界線の自分はあくまで同じ分子配列の体をして、同じ性格・行動原理を持ってはいるものの、意識を持つ本人からすればあくまで他人であるという状態です。クローンをイメージすればわかりやすいと思います。
世界線がXからYに変わると、岡部Xの記憶が岡部クローンYに引き継がれます。アクティブ世界線の設定に沿えば、役目を終えた岡部Xは世界線Xごと消滅、その先どうなったかもわからず意識は殺されます。
そして岡部Yは、Xから貰った記憶を元に自分は岡部Xだと思い込み、次の世界線Zの岡部クローンZに記憶XYを送ることを目標に行動します。その瞬間が岡部Yの寿命であるとも知らずに。
まあ何を言いたいのかというと、これを認めてしまうと、実際は誰も救われていないという結論に達してしまうので、支持したくないということです。ええ、私情です。
上記の説明でもいまいち分かり難いという方は以下のサイトの、どこでもドアの思考実験を見てください。

哲学的な何か、あと科学とか:思考実験

のびたの葛藤に共感できれば上記の問題の重要さが理解できると思います。逆に、ドラえもんの主張を支持する場合には、自己意識は世界線別に存在しても何も問題はありません。

次に前提2に移ります。
『哲学的ゾンビは存在できない 』

まず、
哲学的ゾンビ?なにそれおいしいの?
と思う人が大半だと思います。
下記のサイトに分かりやすくまとめられています(今回こんなのばっか

哲学的な何か、あと科学とか:ゾンビ問題

読むのがめんどくさい!という人に一言で説明すると、意識・心・クオリア、どんな言葉で表してもいいですが、それらがない人のことを指します。普通の人となんら変わらない分子構造、身体機能、脳構造、記憶をもって、なんら変わらない会話、行動、生活を行っているのに、唯一、【心】がない存在、超高性能の人工知能を搭載した、有機物でできたアンドロイドとでもいいましょうか。

人は、心がなくても何不自由なく存在し、生活することが出来るのです、が、なぜ今回こんな前提を設置する必要があったのか?
それは前提1にあげたように、意識は同一人物間で常に1つでなければならない場合に、アクティブな世界線が移動したとき、他の世界線に意識が取り残されてしまっても哲学的ゾンビがいれば、ゾンビだらけの世界として成り立ってしまうわけです。
そしてそれを今回の劇中の状況に当てはめてみましょう。
岡部の意識がSGからRへと移動した瞬間、岡部の存在は存在しなかったことになりました。ではなぜ、そこに抜け殻ともいえる岡部が残らなかったのか?
つまり、心がRへ移動→心は複数存在できない→SGの岡部は哲学的ゾンビ→ゾンビは存在できない→消滅となるわけです。
そしてRの岡部視点で見ると、
岡部以外の心はSGにある→Rに心を持った固体は岡部しか居ない→ゾンビは存在できない→岡部以外消滅という、あの表札の無い、誰も居ない世界として映るわけです。

今回は仮説も含め、なかなかに証明の難しい上にとても長い考察になりましたが、いかがでしょうか?
正直こじつけ感は拭えないとは思いますが、今現在の私の頭で考えられるもので可能な限りつじつまが合うものとしてまとめさせていただきました。

最後に蛇足になりますが、この世界に岡部並みのRSを持った人物が現れなかった理由として1つの仮説を立てました。
岡部は本来RSを体験した段階で、現在の世界の違和感により初期の時点で世界に留まれなくなる可能性が高い状態になるはずが、偶然にも『Dメールによる過去干渉の影響』という自分自身を納得させるための解が身近にあったことにより、ぶれることなく存在することが出来ました、が、そのほかのRSもちの人が理由も分からず世界の違和感にさらされ続けたらどうなるか?劇中の岡部のように単独で他の世界線に迷い込むか、アクティブ世界線に留まれたとしても統合失調のような精神障害として、表舞台に立つことがないまま存在するだけになってしまうでしょう。
彼らこそが、真の意味での過去改変による隠れた被害者といえそうですね。

また、蛇足2として、エンジェルラダーでまゆりが消えそうだと岡部が感じたとき、おばあちゃんの死を現実のものとして認識できなかったまゆりが、現状の世界線の違和感を覚えてまさにこの世界線から消滅しかけたところを岡部が引き止めた、と思うのは少しロマンチックでしょうか。
[ 2013/05/06 04:09 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(0)

劇場版考察4:岡部が消えた理由について

少し間が空きましたが劇場版考察4を始めていきたいと思います。
さて、間が空いた理由として、今回の考察がまだ自分の中で未完成な事があげられます。しかし、解決策を考え付くまで放っておいても仕方ないので、完成している部分だけでもまとめて、みなさんの意見や考えを待って、いずれは完成することを願って 、掲載することにしました。

さて、いつも以上に前置きが長くなりましたが、始めていきましょう。
今回のテーマは、『岡部が消えた理由』について。
これは長くなるため、前後に分けて考察していこうとおもいます。
劇中、岡部は様々な世界線の記憶に翻弄され、最終的に岡部単身でR世界線に移動します。さて、ここで明らかに今までと違うことがひとつ、記憶を受信している間、肉体ごと移動してしまっていることです。
劇中で岡部も最初は単なる白昼夢を疑っていました。そしてラボ襲撃時の記憶の時間経過の差(記憶前はラボ内に睡眠紅莉栖と岡部、BBQは中盤。記憶後はラボ内に起床紅莉栖、岡部、ダル、まゆり。BBQは終了)により、他の世界線を見ていた間の時間分経過していることを観測しました。そして無限サイクリング、猟奇綯さんの記憶時に、太陽の暑さや空気などの感覚から、今現在実際に体験しているものであること、移動の時間が長くなっていることを観測します。この時点で単なるデジャヴと少し異なってしまっているので、このままだと考察1が成り立ちませんね。
というわけで、ここでひとつ仮説を設定することでとりあえずの整合性をとろうと思います。
『今、居るべき世界線を決定するのは自分自身である』
意味深に書いてみましたが、哲学及び、多世界解釈分野の永遠の疑問である『今、この世界である理由を、私達は証明できない』に掛けてみました。つまり、記憶から形成される自己意識(クオリア)の潜在的な部分が感じている世界線をアクティブだと認識しているのだと思われます。
通常はアクティブ世界線が移るときに記憶が書き変わるため、皆はその書き変わった記憶をもとに、その世界がアクティブだと認識して留まります。RSを持つ岡部にしても、その世界線の記憶はなくても、連続した記憶を元に、移動後の世界であるという認識があるため、留まる事ができてました。しかし今回は、世界線の移動を感知できると思っている岡部が、世界線が移動したはずがないのに他の記憶を見てしまったため、世界線が移動してしまったんだと無意識に錯覚したことにより、岡部の潜在意識が他の世界線をアクティブだと認識して留まれなくなったものだと思われます。劇中の描写だけで言うと、最初のラジ館人工衛星は通常のデジャヴとして観測(肉体そのまま)し、それを引き金に世界線の移動を勘違いし始めたため、以降では肉体の移動を含めたブレが始まったのだと思われます。

後半へ続く
[ 2013/05/04 17:38 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(0)





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