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劇場版考察6:観測者とは

今回の考察はあまり得られることは少ないかもしれません。

【孤独の観測者】観測者という言葉は、シュタインズゲートにおいて重要なテーマのひとつと言えるでしょう。
それは劇場版の劇中でも例外ではなく、『牧瀬紅莉栖にこの世界の観測者になってもらう必要があった』『私があなたを観測し続ける』など、度々観測という単語が出てきます。
さて、そもそも観測者とは何なのか?
観測という言葉には観察と測定という2つの単語を内包している。物事や事象を測定し、観察すること、学問によって言葉の定義が異なってくるが、極論を言えばこういうことである。

さて、劇中での観測者の定義とは何でしょうか?
本編での観測者は岡部劇場版で紅莉栖がそう呼ばれていましたが,
正確にはどこまでかその言葉の定義の中に当てはまるのかはわかりません。
それぞれの境遇としては、
岡部=RS持ち
紅莉栖=タイムリーパー

ですが、これだけで条件付けするには前提条件が広すぎますね。

というわけでそれぞれをもっと細かく見ていきましょう。同時に、観測者以外と対比することでその定義を絞っていきましょう。

まず、岡部に関してですが岡部はRSにより世界線の変動による前後の違いを認識できます。つまり、世界がどう変わったかを認識=観測している
それに対して、それ以外の人は変動前後の比較ができない
他者との決定的な違いはこれにつきると思います。

では、劇場版紅莉栖の場合は何でしょうか?

切っ掛けとしてはタイムリープですが、ではタイムリーパーは全員観測者と言えるのでしょうか?
紅莉栖がタイムリーパーになることで他者と違うこと、それは『岡部の消失を認識できるか』にあると思われます。
それには、条件1として、動機が挙げられます。紅莉栖の【タイムリープをしてきた】という動機に、間接的に『岡部の消失を確認すること』がタグ付けられているからだと思われます。(直接的には、違和感の正体を突き止めること)

そして、条件2として、タイミングがあげられます。『岡部消失前』の記憶を持つ紅莉栖、『岡部消失後』の記憶を追加(上書きでは無い点に注意。電話を受ける前の記憶もきちんと残る)することにより、その比較が可能になります。

time-travel10

そして、これらの条件2つを満たした場合のみ、岡部に対する観測者になりえます
例えば、動機として条件1があっても、既に『岡部消失後』に『岡部消失後』の紅莉栖が跳んでも、『違和感を特定できなかった』という結果が残るだけです。
逆に、条件2があっても、動機が別にあれば、岡部消失に関しては意識の外にあると思われますので、比較する理由がなくなってしまうわけです。。

そして、岡部の消失を認識できる人物がもう一人います。
言わずもかな、阿万音鈴羽です。
彼女の場合は条件1が直接的動機になります。そして、条件2は、鈴羽にとっては記憶は『岡部消失後』に岡部の情報を得ている状態にあるため、2011年で記憶改編を受けても受けなくても、岡部の情報は残せるものと思われます。(むしろ岡部消失後の方が鈴羽には自然な状態)
そして、この状態の鈴羽を観測者と定義するのなら、観測者は複数存在できることになります。
そもそもRSが唯一無二の能力でなく、デジャヴの発展であるなら、岡部以外の60億人の誰かにもにRSを発現できる可能性が内包されるので、その時点で観測者複数は許容されるのですが。

観測対象で見てみましょう。岡部自身は世界に対しての観測者であって、岡部消失に対する観測者であるかは定義できない。自分自身の身に起きたことなので、消失後にも自己意識が存在するのなら消失したという事実自体は認識できるでしょうが、消失前後のSG世界の違いは認識できません
もちろん紅莉栖も、岡部消失に対しての観測者になって、更にアトラクタフィールド理論の理解を深めても、世界に対しての観測者ではない。(もっとも、小説版デジャヴでは、デジャヴの違和感を他世界線の記憶だと認識できていれば、擬似的なRSになることは紅莉栖が推測していたが)
つまり、一口に観測者といっても、観測対象によってそれぞれ観測できる範囲、条件が違うので、観測対象が違えば、観測者同士が同種の存在であるとはいえないのです。

観測者は何が出来るのか?
推察ですが、観測の対象(世界や岡部消失)に対してアプローチできる事が挙げられます(但し、自由意思があると過程した場合)。
もちろんそのアプローチ自体がうまくいくかは別問題ですが、違いを認識できない者からすると、その行動すべてが見えない糸で操られているかの様に、世界線の筋書き通りの行動しかとれない可能性があります。
観測者の行動自体も世界線の筋書きのうちなのか、理の外という扱いなのかはわかりませんが、劇中で結果を残してきたのはいつでも観測者行動でした。
劇中での観測者は、能力の有無や傍観者を指すのではなく、アトラクタフィールド理論の決定論的な部分(結果)に唯一介入できる可能性を持つ状況にある者を指すのではないでしょうか。
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[ 2013/06/09 01:07 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(0)

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