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劇場版情報現状まとめ&一部感想

※今回の記事は劇場版デジャヴだけでなく、小説版デジャヴ、デジャヴオフィシャルガイドブック(以下資料集)全てにおいてのネタバレです。一部フェノグラムの鈴羽ルートもネタバレします。
そして、この作品に対しての一応の私自身の感想も含みます。
賛否両論分かれる、この『負荷領域のデジャヴ』という作品に対しての現時点でのまとめを書いていこうと思います。

※私個人の感想なので、共感できない部分も有るかと思いますが、この感想は決して他の感想や意見を否定するものではないと理解いただける方のみ目を通していただけると幸いです。
今までに書いた考察の答え合わせや未解決部分などが入り乱れた内容になるかと思いますが、ご了承ください。

劇場版を見る前の段階で大きく気にしていたことは、『岡部が消えること』による設定の追加は、うまく本編の設定と共存しえるのか、若しくは設定破壊へとつながるかの心配と、『リーディングシュタイナーの招待が明らかになる』ということの期待でした。

前者は、状況的には物理的消失よりも記憶喪失・精神障害が妥当なものではないかと考えていたため、その状況をどう構成していくのかが気になりました。ちなみに初期段階では記憶喪失パターンも構想上はありえたそうです(資料集より)。
結果として、R世界線という定義を新たに作って公開されたわけですが、ここで問題となるのは考察でも触れたとおり『アクティブ世界線は常にひとつ』という設定に抵触するのではないかという問題。
そのRという特殊性が説明不足だったので、設定破壊説が濃厚な方向へ向かってしまいました。
これを避けるため、うまく解釈を変えられないか考えた末に考察を立ててみましたが、所詮は考察、公式の見解が不透明な以上は理論足りえず解釈どまりです。

その後明らかになった点としては、
・『アクティブな世界線は常にひとつ。これは絶対なルール』(フェノグラム資料集より)
・『アクティブな世界線は常にひとつだけだ』(デジャヴ小説より)

・RはReverse、Q,R,Sというアルファベット上で『S』teins;gateの隣のR、RintaroのRという複数の意味(デジャヴ資料集及びデジャヴ小説より)

・『仮に、SGから0.00001%だけずれたところにRを定める』
・世界線変動率は、岡部以外には指標としての意味を成さないが、机上の議論には用いることが出来る。
・この両者(R・S)の関係を正しく定義する用語は、未だ存在しない。
・消失の原因は、収束ではなかった、過去改変でもなかった。
・『彼が移動したというよりは、認知の外に行ってしまった。世界線は移動していないはずだけど、世界は記憶を消すしかなかった。かなりイレギュラーな状態』
・『この世界線を現実として認識している岡部自身がゆらぐ。やがては失認、自己意識の失調をきたす』(デジャヴ小説より)


ざっとあげるとこんなところでしょうか。
まとめると、世界線が常にひとつという定義は、公式としても決して譲らない設定であるようです。この点は安心しました。
名称については考察には直接影響がないので上記で完結で。
それ以降はほぼ小説から出たものでありますが、R世界線という言葉自体がただの議論上の概念・材料で、実際にそういう世界線がダイバージェンス上に存在して居るわけではないということのようです。

小説には、上記以外にも次のような一説が出てきます。(一部略)
『どこまで過去を遡ろうと(未来を望もうと)、確定した(する)事実は無い。何時にでも行けるが何処にも行けない。定まらぬ事実・認識・存在。R世界線といいながら(現実感)Realityはない。何もかもが不確定で、世界線とは名ばかりの概念。現実として観測するものが定まらない以上、観測する者も存在しえず、意識としても存在出来ない。思考が光となって電位のシグナルがニューロンを駆け巡っても、誰にも、何処にも、自分にさえ届かない。都合のいい世界線から捨てられた、都合の悪い記憶を詰めたゴミ箱。R世界線を、こうして実在する文字と文章でたしかに表現するのは困難。言ってしまえば、岡部はR世界線にも居ない。Rに居ると認識できないし、考えたり、推し量ることも出来ない。』

R世界線が世界線ではないというなら、本編設定に抵触はしませんしね。
個人(岡部)の記憶の認識が、現実として存在できる世界線を決定付けている部分は、考察があながち間違っていなかったように思えます。
また、SGを都合のいい世界線、Rを都合の悪い世界線と表現するシーンがありますが、その都合のいい悪いは誰にとってかを考えると、『岡部にとって』となるので、その都合のいい世界線を生み出したのは岡部という風に考えれば、いくゆさんの、岡部のRSが前提として存在する、RSが作り出した世界線という考えに近いかもしれませんね

しかし小説版はあくまで小説
小説内の設定も公式から提供された裏設定をベースに構築しているため、公式といってもいいのかもしれませんが(正直公式と言い切れたほうが楽)、それを裏付ける設定が詳しく資料集ですら明かされていない以上、確定には一歩とどかない状況です。オリジナル展開・解釈が含まれていないとも限らないからです。

後者は、デジャヴとRSが関連すること自体は元々似たようなことが言われていましたし、タイトルにもデジャヴがあるので、そこを(擬似)科学的に詳しく説明されるんだろうと期待していました。
しかし劇中では『デジャヴがRSの一種かもしれない』『デジャヴこそがRSの力』と紅莉栖が考察しただけでそれ以上には踏み込まれませんでした。特に問題なのは後者のセリフ。下手をすれば『デジャヴ=RS』というミスリードを招きそうな発言。
『デジャヴの正体は他の世界線の記憶である。岡部のRSはその延長線上にある能力であり、誰もが持ちうる力なのだ』(資料集の千代丸より)
とあるように、あくまで『デジャヴ=他世界線の記憶』であり、それの発展型(若しくは欠損型)・延長線上にある能力がRSであるわけです。≒や≦、≧ならともかく。

またデジャヴ(RS以外)→RSとなる条件も真実はどうなのか気になりますね。
小説版では鈴羽と紅莉栖が、脳のリミッターの欠損を推察しています。
それに対し私の考察は感受性の大小を考えていたので、小説内の推察が正しいと定義されれば棄却されそうですね。

少女姿の紅莉栖については、資料集のインタビューによれば、『言葉にするのは難しいけれど~』とは濁してはいますが、私の未解決考察にあるような、『実際の過去の紅莉栖説の可能性』は期待できないかもしれません。心情を少女に置き換えた演出説が濃厚です。
しかし資料集の編集者は、本編で岡部が語ったロマンチックじゃなかったファーストキスの思い出の相手が明らかになる。みたいな書き方しているので、また混乱を招きそうですが
しかしこの資料集の編集者、所々間違えて書いていたり、認識に誤解を招きやすい表現をしたりするので、危ういです(23話で中鉢が紅莉栖刺したことになってたり)。
資料集の中でも場合によっては、公式として見るのは林さんや監督、千代丸などのインタビューに限って見た方がいいかもしれません

また、誰が最初の鳳凰院凶真だったのか?とか書かれていますが、因果が閉じているように見えるのはSGだけで見た場合であって、SG紅莉栖の鳳凰院の知識は『SGの過去の持ったSGの岡部』ではなく『αやβの過去の記憶を持ったSGの岡部』によるもので、鳳凰隠という固有名称はともかく、マッドサイエンティストの設定は岡部自身が当時のTVアニメ由来であることを語っているので、SG以外では由来が存在していますので問題は有りません。
また、フェノグラムのダルのタイムマシンの知識についても似たような問題が提示されていますが、そもそもダルがタイムマシンを修理していない世界線が存在する以上、タイムマシンの存在には修理の経験の有無は直接影響がなく、因果もその世界線1本で見れば閉じて見えますが、複数の世界線を含めればちゃんと開いています。

紅莉栖失敗時の岡部が轢かれそうになる描写ですが、あれは完全に騙されました。
あそこで轢かれていれば、岡部が死ななくてもまゆりのところに行けなくなるので問題が発生すると思っていたのですが、小説によると『ぎりぎり傘の先が引っかかって飛ばされた』だけで轢かれていないそうです。
うん、確かに轢かれない収束もある方が辻褄は合わせられるのですが、あれは完全にミスリードさせられました。

他に資料集で気付いた点としては、
朝顔に群がる二匹の蝶や、コインランドリーに移る岡部の顔の強調の意味は興味深かったです。
また、まゆりの幻聴の『オペレーションミドガルド』は、人間の住む領域であるSGへ帰還する作戦を指している事など。
こういうのに気付くのは苦手なので。
岡部の厨二発言にある『ソーラーストーム(太陽嵐)の影響で~』は、やはりロボノを意識していたようですね。
そのパート担当していた人もロボノアニメの人だったようです。
また、タイムマシンの内装に、フェノグラムの世界線選択画面や、x68が積まれているのは気づけませんでした。
ブラウンがラウンダーの可能性はやはり林さんの中では残ってはいるようです。
ラストのシーンが、小説版ではラジ館前映画では中央通りになっていますが、急遽後悔前に変更したための名残が小説版だったようです。


資料集内の各インタビューでは、所々に『本編に載せ切れなかった裏設定がいっぱいある』とか、『精神の話などになって膨大になるから作中では省いたけれど、もっと掘り下げる予定だった』とか言われてますので、もっと様々な疑問に答えてくれるだけの材料は隠し持ってはいるんでしょう(と信じたい)。
映画の尺を考えると、σ(・ω・ )の考察みたいな回りくどいことを延々と話される映画なんて確かに誰も寄り付きませんしね。
でも、だからこそ、どうしてそれを資料集に載せなかったし!載せなかったし!!ヾ(`・ω・´)ノ彡☆バンバン!!
それともコンプリートバージョンみたいな感じでBDやDVDで出すから隠しているとかですかね?

シナリオで言えば、公平不公平はおいておいて、注目したいのは萌郁がしっかりとラボメンしているのがよかったと思います。
ルカとの絡みや、酔って歌いだすシーンからも、自然に馴染んできているのが分かりますし、携帯電話をいじらずに喋ることが多くなりました。
そして、『もう一人居る。ここには居ない』という重要なセリフを任されていたのもでかいです。
紅莉栖以外のラボメンで、違和感=人が足りないところまで断定したのは彼女です。ラボメンの中では絆が浅い彼女ですが、この1年での成長は、きちんと時間が経過していることの再認識と、これからの平和な未来への希望を表現するのに一役かったのではないでしょうか。

劇場版という限られた時間であることを前提にする以上、全キャラそれぞれの活躍の場を個別に設けるのは困難ですが、それぞれの個性を限られた出番の中で精一杯出されていると思います。
まあ前半の紅莉栖は趣味全開感は否めませんが

最初の懐疑的な視点で見ていた1回目に比べ、色々考えを巡らせたあとに先入観を捨てて初心に返って見た4回目は素直に感動することが出来ました。
物足りなさは勿論あるのですが、否定の気持ちはないので、今後の補完を期待しつつ、私個人の感想としては及第点を与えたいと思いました。

最後にもう一度断りを入れておきますが、これは決して他の意見を糾弾するものではありません。単なる読書感想文のようなものです。
『事実はひとつでも真実は人の数だけ』(デジャヴ小説紅莉栖より)。色んな見方があるからこそ、意見交換の楽しみが増え、考察が発展しうるのですヾ(*・ω・*)ノ
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[ 2013/06/10 22:26 ] 劇場版(デジャヴ) | TB(0) | CM(1)

映画を最近観て、なんちゅう映画だと嘆息し、色んな感想・評価・考察を読み、ようやく内容の全体像を何となく納得した感じです(映画媒体の作品としては結局えげつないですが)
ここのような冷静かつ大人な分析家が考察サイドにいることに少し安心しました(大抵は破壊的なので)

私は一度しか観ていませんが、二度三度と楽しんでみようと思いました。
[ 2014/01/26 03:08 ] [ 編集 ]

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